家庭を持つ、ということ。
2010年 03月 17日
今日、すでに結婚し子供も授かっている大学のクラスメイトに会ってきた。
かなり久しぶりに会ったその彼は、正直まるで別人のような雰囲気を醸し出していた。
「家庭を持つ」という責任感は、こうも人を変えるものなのかと正直びっくりした。
そこまで彼を深く知るわけではないけれども、見かけ結構適当そうな奴であることは
確かで特別すごいしっかりした奴ではないと思っていたけど、今日の彼は違っていた。
ちゃんとパパの役割をこなしていましたね。
最近、「リーダーの人間力」って本を読み終えました。
この中では、リーダーに必要とされる6つの資質を挙げているんだけど、その中で
「自己を超える」という資質が6番目に紹介されている。
要するに、「自分」ではない「何か」のために自己犠牲を厭わないこと、なのかな。
「何か」というのは、本当に何でもよい。
会社のため、家族のため、親のため、人によってそれは様々である。
そのまま引用すると、
「自己を超える」資質を備えた人は、自分勝手や自己中心を超越しており、世の中が自分を中心にまわっているとは考えず、現実を見据えて生きている。そういう人は、この世には自分よりはるかに大きなものがあること、さらに自分と言う存在が身近な関心事に留まらず、究極的にはより大きなものにつながっていることに気づいている。自分が生きるということは、自分より大きなものに適合し、共存し、それに仕え、ひれ伏し、大きな視野で自分の役割を見つけることあと気付いている。その結果、究極的にはそこに溶け込み「全てが自分のため!」という考え方よりもはるかに大きな意味を見つけている。
人生とは、自分を超える、より大きな存在のためにある。
とある。
彼の場合、決して今の状況は彼自身が望んだものでは決してないはずである。
彼自身も、その決断をしたときは、めちゃくちゃ悩んだし考えたと言っていた。
だが、そういう「現実」が彼の目の前に現れたのである。
彼は、それを直視し、その現実が突き付ける要求に応え、今の彼がある。
この本の中で、たびたび登場するインテグリティという言葉は上手い日本語訳がない。
リーダーになるべき人には、インテグリティが備わっているというが、そのインテグリティ
とはなにか。
本での定義は、「現実が突き付ける要求に応える力」だと言っている。
もともと6つの資質全てを備える人などいるわけがないと本でも言っていて、人生の中で
様々なことを経験することによって、徐々にその資質を見出し、磨いていくのだと思う。
彼の場合、突如として突き付けられた「事実」に対し、見事に対応し、「自己を超える存在に
自己を適合させる能力」を身に付けたと言えるのではないだろうか。
家庭を持つ、ということは、もう自分だけの楽しみを捨てる、ということになる。
それは、飲み会であったり色々あるだろう。
彼にとっての本当の大切なものが何かは知る由もないが、自己犠牲とは自分より大きなものに
奉仕するために、自分にとって大切なものを失う、ということである。
そういう意味では、今の年齢で享受すべき、というか享受できる多くの楽しみを捨てて
まさに「家族のために」という自己を超えるものに捧げていることに他ならない。
その決断を下す過程の中で、彼自身成長し、今まで持ち得なかった「自己を超える」資質を
磨いた結果が、今の彼の雰囲気を作り出すのかな、と思った。
実際、そーんな深い話じゃないのかもしれないけど、そういう本を読んだあとだったので
妙に納得しながら色々考えてしまいました。
まぁ、何にせよ、「家庭」という自分以外の存在を持つ、ということは、人を大いに成長させる
ものなんだなぁと今日改めて認識したように思います。
「何のために」働くか。
それをすでに見出している彼は強いと思います。
家庭のため。
はたまた、自分の勤める会社の持つ大義のためか。
どちらにしても、「自分ではない何かのために」働くことって重要なんだろう。
かなり久しぶりに会ったその彼は、正直まるで別人のような雰囲気を醸し出していた。
「家庭を持つ」という責任感は、こうも人を変えるものなのかと正直びっくりした。
そこまで彼を深く知るわけではないけれども、見かけ結構適当そうな奴であることは
確かで特別すごいしっかりした奴ではないと思っていたけど、今日の彼は違っていた。
ちゃんとパパの役割をこなしていましたね。
最近、「リーダーの人間力」って本を読み終えました。
この中では、リーダーに必要とされる6つの資質を挙げているんだけど、その中で
「自己を超える」という資質が6番目に紹介されている。
要するに、「自分」ではない「何か」のために自己犠牲を厭わないこと、なのかな。
「何か」というのは、本当に何でもよい。
会社のため、家族のため、親のため、人によってそれは様々である。
そのまま引用すると、
「自己を超える」資質を備えた人は、自分勝手や自己中心を超越しており、世の中が自分を中心にまわっているとは考えず、現実を見据えて生きている。そういう人は、この世には自分よりはるかに大きなものがあること、さらに自分と言う存在が身近な関心事に留まらず、究極的にはより大きなものにつながっていることに気づいている。自分が生きるということは、自分より大きなものに適合し、共存し、それに仕え、ひれ伏し、大きな視野で自分の役割を見つけることあと気付いている。その結果、究極的にはそこに溶け込み「全てが自分のため!」という考え方よりもはるかに大きな意味を見つけている。
人生とは、自分を超える、より大きな存在のためにある。
とある。
彼の場合、決して今の状況は彼自身が望んだものでは決してないはずである。
彼自身も、その決断をしたときは、めちゃくちゃ悩んだし考えたと言っていた。
だが、そういう「現実」が彼の目の前に現れたのである。
彼は、それを直視し、その現実が突き付ける要求に応え、今の彼がある。
この本の中で、たびたび登場するインテグリティという言葉は上手い日本語訳がない。
リーダーになるべき人には、インテグリティが備わっているというが、そのインテグリティ
とはなにか。
本での定義は、「現実が突き付ける要求に応える力」だと言っている。
もともと6つの資質全てを備える人などいるわけがないと本でも言っていて、人生の中で
様々なことを経験することによって、徐々にその資質を見出し、磨いていくのだと思う。
彼の場合、突如として突き付けられた「事実」に対し、見事に対応し、「自己を超える存在に
自己を適合させる能力」を身に付けたと言えるのではないだろうか。
家庭を持つ、ということは、もう自分だけの楽しみを捨てる、ということになる。
それは、飲み会であったり色々あるだろう。
彼にとっての本当の大切なものが何かは知る由もないが、自己犠牲とは自分より大きなものに
奉仕するために、自分にとって大切なものを失う、ということである。
そういう意味では、今の年齢で享受すべき、というか享受できる多くの楽しみを捨てて
まさに「家族のために」という自己を超えるものに捧げていることに他ならない。
その決断を下す過程の中で、彼自身成長し、今まで持ち得なかった「自己を超える」資質を
磨いた結果が、今の彼の雰囲気を作り出すのかな、と思った。
実際、そーんな深い話じゃないのかもしれないけど、そういう本を読んだあとだったので
妙に納得しながら色々考えてしまいました。
まぁ、何にせよ、「家庭」という自分以外の存在を持つ、ということは、人を大いに成長させる
ものなんだなぁと今日改めて認識したように思います。
「何のために」働くか。
それをすでに見出している彼は強いと思います。
家庭のため。
はたまた、自分の勤める会社の持つ大義のためか。
どちらにしても、「自分ではない何かのために」働くことって重要なんだろう。
by kk22_gm1030
| 2010-03-17 23:41
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